2013年3月17日日曜日

大から小への日本語、小から大への英語

こんにちは、
いつも読んでくださってありがとうございます。fbを通して感想やコメントもありがとうございます、うれしいです。

ミシガンは昨日、"今シーズン最後の(であることを祈る)”雪が降りましたが、先週(3月10日)から夏時間に切り替わり、日がどんどん長くなっているのを実感します。

さて今回は
日本語の「の」と、英語の「of 」について書きたいと思います。

たとえば、話題の映画「Life of Pi」の邦題は「パイの物語」です。
(ちなみにパイは主人公の少年の名前、そしてlifeを物語と訳してるという点はさておきます。)

日本語で
 A の B (「パイ の 物語」)
が、英語では
 B of  A  (「物語 of パイ」)
と逆になっています。

そうそう、名前だって 「こばやし はるこ」が「Haruko Kobayashi」って、日本語と英語だと順番が逆になるんだよねー。

でも、これ二つの単語の順番が単に「逆」とだけとらえてしまうと、ちょっと違う気がします。

日本語では「パイの」って聞いた時点で少年パイに関する何かであることが漠然と分かります。しかも「の」によって続きがあることが示唆されています。頭ではパイ君の生い立ち?冒険?初恋?家族?などとパイ君にまつわる色々を思いめぐらしているところに、「物語」と詳細が示唆される。 大→小 の発想の流れです。
英語では「life」と言いきってしまうので、まず「なるほど、人生・生き様・生活・物語なんだな」とひとまず完結。そのあとおもむろに「of」と続くので、あ、補足説明があるのね。時間があるとき聞いてもいいよ、と。それで頭ではアメリカ人の?江戸時代の?インドの?何の?誰の?とlifeの属性を思いめぐらせたところに(思いめぐらさない場合も大いに可)、「of Pi」と限定されるのです。小→大 の流れです。

単にAとBが入れ替わって”逆”になるのではなく、発想の順番、流れが違う、と言えるのではないでしょうか。

住所の表記を思い浮かべて下さい。
東京都中央区銀座6-9-5
(東京都の>中央区の>銀座の>6丁目の>9番地の>5)
英語では、
666 5th Ave, New York, NY
(number 666 <of 5th Ave <of New York City <of New York State)

日本語が大きい概念→小さい具体的なものへとどんどん発想が流れるに対して、英語はまず一番小さい具体的なもの→大きな概念へとどんどん発想が流れていることが明らかです。
日本語では枠組みが先に来て、そこに属するもの、またそこに属するもの、と具体化していくのに対して、英語では、まずこれ以上細かくできない要素からスタートして、それが属する枠組み、またその枠組みが属するさらに大きな枠組み、と追加していく形ですね。

名前もそうです。
「こばやし の はるこ」 か
「Haruko of Kobayashi」 か、なので、発想の第一段階で、日本語は「小林」という名字の枠組みを、英語では「Haruko」という一番最小要素を、それぞれ思い浮かべることになります。だから一語だけで名前を言うときに、最初に発想するほうを単純に選ぶと、日本語は名字の「こばやし」をとるけど、英語では下の名前の「Haruko」になる、ということなんじゃないでしょうかね、きっと。
アメリカ人はすぐに下の名前で呼び合って、フレンドリー♪♪なんて言いますが、単に最初に発想する方を選んだ結果なだけなんじゃないでしょうか。

ここから考えられるのが
日本語はまず外側の枠組みを決めてからその中でより具体的なものへと
どんどん枠を絞っていくのでは。大きい円の中に小さい円を描きたす感じ。 
一方、英語は、まず最小のものを具体的に考えて、発想をどんどん広げていく感じ。小さい円の外に大きい円をどんどん描きたしていく感じ。

よく言われる、
日本人は、概念を掴むのが得意。具体的な行動を取るのが遅い、集団主義、個人が無い、細かい、繊細、言わないでもわかる、はっきり言葉で説明するのが苦手。
アメリカ人は、 全体像を掴むのが苦手、具体的なアクションを取るのが得意、個人主義、集団行動が苦手、大ざっぱ、大胆、言葉で言ったことだけがすべて、言語で論理的説明が得意。
などなどといった、ステレオタイプなイメージに、驚くほど重なりませんか?

ここで、だから日本人は、とか、だからアメリカ人は、というのは とても危険ですが、話している言語の「くせ」に自分の発想が知らず知らずとらわれている、ということはあるのではないでしょうか。

この話をアメリカ人とした時に、だから(と決めつけるのはいけないかもしれませんが)、ブレーンストーミングのやり方がアメリカと日本では違うのだ、と言われました。
ブレーンストーミング、日本の企業や学校でももてはやされ、まずみんなで寄り集まって何でもいいから、思いついたことを出しあってみましょう、という方法です。
日本でも、やってますよ、同じように、と思ったのですが、これが日米ではその実態がかなり違うものになるそうなのです。

アメリカだと、本当に「今、全く関係ないのにそれを出す?関係ないんじゃないの?」的な自分勝手的な意見が飛び交います。 まさにそこが狙い目で、自分の専門以外の視点を他の人に出してもらう。発想は無限に広がり、目指していた解答が出てこなくても、副産物として他の分野の問題解決になったり、思わぬ重大な発見や発明に繋がることもある。

一方、日本式の思考方法には、代表として「石川fishbone method」 というマーケティング手法がありますが、これは魚の口を「今ある問題」 魚の尻尾を「原因」として、矢印を口に向けて延ばした後、骨のように、あらゆる間接原因を洗い出していく、という方法だそうです。(よね?専門の方がいらっしゃったら間違い訂正願います。)
工場生産で不具合があります、問題を徹底解明しましょう、という時は効率的でよいのですが、そうではないbrain stormingでも 日本人はこのクセが出てしまい、なかなか枠組みを突き破るような発想が出てこないそうなのです。 確かに、これ今関係ないから言ってもしょうがない。とか今は言わないでおこう、と思いがちだったり、他の意見に付け足す意見しか出なかったりしがちですよね。

もちろん、日本人でも枠にとらわれない発想をする人、他の人が考えつかないことを発見・発明する人もたくさんいるわけですが、そういう人はどこかで「日本語にとらわれない」発想法をしているんじゃないだろうかー、などとぼんやり想像したりします。

日本語の「の」と英語の「of」の文法上の役割の違いによって、これほどまで発想の流れ・癖が左右されるとは、恐ろしいですが、爽快な気がします。

私はときどき、老化予防?肩こり防止?に、いつも右手でしている歯磨きを左手でしてみたりするんですが、これがなかなか難しいです。言語でも、いつも日本語で考えている我々は、ときどき英語で考えてみる、もしくは、ときどき発想を大→小ではなく、小→大に変えて、概念じゃなく具体的なことをまず考える、と変えてみると、普段と同じことでも違って感じられたり、新しい何かに気づいたりできるのではないでしょうか。

おわり

p.s. 発想の順番、日付もそうだよ!と言いたいところなのですが、
これは、
日本式:          大→小  2013/03/16 (年→月→日)
ヨーロッパ式:小→大    16/03/2013 (日→月→年)
と、理論通りなのですが、
アメリカ式:中→小→大 03/16/2013 (月→日→年)
となり、理論通りにいきません。
ここでは、アメリカ人のひねくれ者!と声を大にして言わざるをえません。 これはMarch 16 of  2013という発想で、普段「年」の概念まで気にしていないから年がつけ足しになっているのでしょう。まったく不便極まりないです。



 

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