2013年12月24日火曜日

クリスマスとケンタッキーとカーネルおじさんの関係について

みなさま、大変ご無沙汰しております。6ヶ月ぶりです。はぁ、、、。人生、色々思い通りに行かないものですね。気持ちだけは常にあるのですが、すみません、ブログの優先順位がひじょーに低くなっておりました。反省。申し訳ございませんでした。
 はい、反省とお詫び、終了。

さて、今日はアメリカではクリスマスイブ、日本ではクリスマスですね。
ということで、時節柄の話題をひとつ。
日本では、クリスマスと言えばケンタッキーフライドチキン。クリスマス柄のパーティーバーレルを抱えてホームパーティーにいそいそと、という光景が日本全国各地で繰り広げられていることでしょう。バブル時代の象徴でもあり、クリスマスの華やかさにぴったりのケンタッキーフライドチキン❤️

実は、この「クリスマスはケンタッキー」は、日本発祥の日本だけの不思議な慣わしであります。 ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)発祥の国、本場アメリカのKFC店では、この時期、クリスマス特別メニューやクリスマスキャンペーンなど全く行っておりません。一応バーレルは真っ赤なリボン柄で多少はクリスマスバージョンですが。
そもそも、アメリカでクリスマスのごちそうといえば、チキンではなくターキーやハムが一般的です。ターキーは七面鳥の丸焼きです。ハムは日本では見かけない、骨付きのもも肉の巨大な塊で、そのままでもハムなので食べられますが、オーブンで温めたものを薄くスライスしていただきます。
ですから、だれも「クリスマスはケンタッキー」という発想をしません。

では、どうして日本独自の“西洋風クリスマスの祝い方”が根付いたか、といいますと――――――
1970年、大阪万博で日本に初上陸したKFCは、第1号店を名古屋に、そして満を期して第2号店を1974年、東京青山にオープンさせます。そこにクリスマスの時期にやってきた外国人のお客さんが、日本で手に入らない七面鳥の代用としてフライドチキンを購入するのを見たマネージャーが、クリスマスキャンペーンを生みだしたのだそうです。
・・・という話は、ここに詳しく出ております。http://japan.kfc.co.jp/qa/kfc.html#B03 
(日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社 ホームページ Q and A 「クリスマスにチキン”はKFCから始まった?」)

アメリカでは、たっぷりの油で揚げる鶏のから揚げ料理は、南部の黒人料理で、決して豪華な料理とは思われていません。Soul food(ソウルフード)と呼ばれる南部郷土料理の生まれは、過酷な肉体労働を課せられた黒人奴隷が好んだ、バターやショートニングを多く使った高カロリー食で、健康志向の現在では、不健康というネガティブイメージも強いです。KFCもどちらかと言うと貧困層が愛用するファストフード店、というイメージが強いのが事実です。お店も安売りばかりを前面に出し、イメージ向上、高級志向などあまり関心がなさげです。
私個人的には、マクドナルドのハンバーガーを食べるよりは、KFCのチキンサンドイッチの方が格段に美味しいと思うのですが。また、ソウルフードも、たまにカロリーを気にせずに無性に食べたくなる、おいしいお料理です。付け合わせのケールやコラードリーフの煮びたしなど、野菜もたっぷり摂れます。 日本でも油ぎとぎとのラーメンが美味しいのと一緒の感覚では?

それにしても、本家よりも数段、格が上がっての日本での土着化を成功させた日本KFCのマーケティング力、すばらしいですね。 
ちなみに、アメリカのKFCはクリスマスよりもフットボール観戦に欠かせないイメージを定着させようとしています。ソファに座ってフライドチキンを仲間とワイワイ食べながらのゲーム観戦を、KFCが元祖のcouchgating(カウチゲーティング)と命名する!と言っております。

さて、やっと英語と日本語の話にはいります。
日本でケンタッキーと言ってもうひとつ思い出すのは、店舗の前に必ずいるカーネルサンダース像。実はこれも日本独自のものです。アメリカのKFCにはカーネルおじさんの像はいませーん!!! これも目ざとい日本人経営者がアメリカ本社がイベントのために特別作成した創始者の像に“目をつけ”日本でほぼ全店舗前に設置することにしたそうです。元祖ゆるきゃら、と言ったところでしょうか。 日本式をベースにアジアの店舗にもいるそうですが、実際に日本以外でご覧になられた方いらっしゃいますか?

ではここで問題です。
KFCの創始者であるこのおじさん、本名は何と言うでしょうか?

名字がサンダース、下の名前がカーネル、、、?
いいえ!

英語で書くと
Colonel Sanders (発音:カーネル・サンダース)
となります。
意味は「サンダース大佐」です。
サンダースは名字ですが、カーネルは「大佐」という意味の敬称で、下の名前ではありません。
ファーストネームはHarland です。
本名はHarland Sanders (発音:ハーランド・サンダース)だそうです。
ですから、「カーネルおじさん」、と呼ぶのは実は変なのです。「ミスターおじさん」と言っているようなものですから。
そして、おじさんと呼ぶのは失礼なくらい、カーネルは偉い名誉称号なのですから。

Colonelと言う敬称は聞きなれないかもしれませんね。
Colonelの発音はコロネルよりもカーネルに近いです。
意味は「大佐」の意味です。
普通は軍隊での地位を表す敬称ですが、南部ケンタッキー州では、州に貢献した民間人に与えられる名誉称号で、軍隊とは全く関係がありません。
正式にはKentucky Colonel (ケンタッキーカーネル)「ケンタッキー州名誉大佐」という称号です。
もしかしたら、日本KFCは「大佐」と日本語に訳すと戦争を連想させてよろしくないので、あえて「カーネル」と原語を採択したのかもしれませんね。

創始者Harland SandersはKFCのフランチャイズ化によるケンタッキー州経済への功績を讃えられ、時のケンタッキー州知事よりカーネルの称号が贈られました。
敬称は、それだけで名前をつけなくても呼び名になるので、
おじさんのことを、「カーネル!」と呼びかけるのは全く問題ありません。
「カーネル・サンダース!」も、もちろんよろしいです。「サンダース大佐!」って感じですから。
でも、「カーネルおじさん!」はおかしいですね。
「カーネル・サンダース氏」などと言うのも二重敬称でおかしいです。
また、「ミスター・サンダース」と呼ぶのもカーネル称号所有者に対して失礼にあたります。

サンダース大佐は、決してエリートではなくその人生で40回以上も転職し、60歳以上になってからKFC のフランチャイズ化でようやく地位も名誉も金も手に入れた遅咲きの人です。カーネルは地元の名士なので、真っ白いスーツにリボンタイのオシャレな装いをしています。また、ロータリークラブやフリーメーソンの会員にもなり、KFCでも慈善活動や奨学金制度を設け、社会貢献に尽力し、94歳で亡くなりましたが、そのホスピタリティー精神(南部のお・も・て・な・し の気持ち)と慈善精神は、今でもKFCに受け継がれていっています。

ご参考までに、ご興味のある方は日米KFCのホームページを見較べてみてください。
日本http://www.kfc.co.jp/top.html
アメリカhttp://www.kfc.com/

では、みなさん、
Merry X'mas!

2013年6月1日土曜日

コスコ それとも コストコ?

ちょっと前に日本に一時帰国した際に、コストコに行って参りました!
巨大な店舗空間と倉庫型の陳列方式はアメリカ式そのままで、アメリカでおなじみのものも多く売っているその上に、アメリカには無い日本向け商品の品ぞろえが豊富で、うらやましい限りでした。

さてさて、本日のテーマはこのお店の名前の日米の名前の違いについてです。
アメリカではCostco. と書き、発音はtの音が聞こえずカタカナで書くと”コスコ”に近い発音です。
一方日本ではCostco.と書き、カタカナ表記はコストコです。
なぜ日本では社名をコスコとせずにコストコとしたのか不思議でした。それを今回は探っていきたいと思います。

アメリカ発祥のこの巨大会員制倉庫型卸売りストアは、会社名を Costco と書きます。(正式名称Costco Wholesale Corporation)
Costco の名前の由来ですが、これは、Cost と Company という二つの単語から作った合成語でしょう。会社を表すCompanyはよくCo.と略されますから。日本語に意訳すと”価格本舗” って感じですか。”価格ドットコム”なんていう会社もあるから、名前が表す”激安”、”安売り”のイメージはつかみやすいでしょう。

ですから、Costco は Cost + Co なんです。
これにカタカナ表記を当てると、 コスト + コ ですね。
意味を忠実にくめば、コスト・コ も非常に理にかなっている訳です。
なるほど、発音よりも意味を重視して、日本進出の際に社名を”コストコ”にしたのか、と納得できました。(が、これが後から覆される----)

ところで、ついでなので、日本語のカタカナ語の“音”について、もうすこし、私が日ごろ感じていることをお話します。
日本語は“カタカナ”が存在するゆえに、従来日本語に無かった概念や言葉を訳すことなく表音することが可能となり、外国の新しい概念や情報をいち早く輸入し、吸収消化することができた、と言われています。例えば中国では、中国語は表意文字の漢字しか持たないので、外国語を輸入するときには、意味を慎重に吟味してどの漢字をあてるか、検討に時間がかかってしまうのです。(最近はアルファベット対応の表音漢字なるものを作って対応しているらしいですが。)  
しかし、便利そうなカタカナですが、日本の国の国語政策として“統一した”見解が無いため、外国語を輸入した分野がそれぞれ勝手にカタカナ語化したのでしょう。その際、そもそも日本語に無い発音をカタカナの音だけで表記するのは無理があるので、聞こえ方にどのカタカナをあてるかは、適当と言えば適当だったはず。その結果、もとの単語が同じとは思いもつかないカタカナ言葉がちまたにたくさん存在することになってしまいました。
例をあげますね。

machine  → (機械という意味で) マシン
      → (布を縫う機械、という意味で) ミシン 
英語ではsawing machine なぜこの時点で縫うsawingという言葉が省略されたのかも不思議です。  マシンガンもミシンガン っていうと破壊力 小さそう!

iron   → (鉄という意味で) アイアン(例:アイアンマン、アイアンレース)
   →  (布のしわを伸ばす道具の) アイロン
   →  (ゴルフのクラブの)アイアン 
これは、英語発音と米語発音の違いもあるのかもしれません。鉄の女サッチャーさん(Iron lady Thatcher)が亡くなったニュースで、イギリスBBCのニュースの発音はアイロンに近かったです。米国ニュースはアイアンに聞こえました。
アイロンレディー、って言うとずいぶん家庭的に聞こえてしまいますね。

偶然違うカタカナがあてられただけなのに、その言葉のイメージがここまで違ってくるとは、面白いですね。 逆に言うと、これだけかけ離れたイメージのマシンもミシンも、アイロンもアイアンも英語話者にとっては抱くイメージは同じなんでしょうか?

さて、意味に忠実な発音の日本のコストコ、
コストコホームページより問い合わせてみましたところ、ご丁寧な回答をいただきました。それによると
「コスコ」はすでに商標登録されていて使えなかったため、「コストコ」としました。
とのことです。なんのこっちゃ。
そして、その辺のいきさつは、コストコに問い合わせることも無いほど、ネットで情報がでてきました。COSCOはChina Ocean Service Co. という中国籍の輸送運搬会社で、日本では社名の書かれたコンテナをよく目にするそうですが、ご存知ですか? アルファベット表記ではスペルが違うので問題なかったでしょうに、カタカナだと同じになってしまい「コスコ」は登録できなかったのですね。
なーんだ、深く考えたネーミングではなかったんですか。

以上
おしまい
次回はもっと早くブログを書きます。


2013年3月17日日曜日

大から小への日本語、小から大への英語

こんにちは、
いつも読んでくださってありがとうございます。fbを通して感想やコメントもありがとうございます、うれしいです。

ミシガンは昨日、"今シーズン最後の(であることを祈る)”雪が降りましたが、先週(3月10日)から夏時間に切り替わり、日がどんどん長くなっているのを実感します。

さて今回は
日本語の「の」と、英語の「of 」について書きたいと思います。

たとえば、話題の映画「Life of Pi」の邦題は「パイの物語」です。
(ちなみにパイは主人公の少年の名前、そしてlifeを物語と訳してるという点はさておきます。)

日本語で
 A の B (「パイ の 物語」)
が、英語では
 B of  A  (「物語 of パイ」)
と逆になっています。

そうそう、名前だって 「こばやし はるこ」が「Haruko Kobayashi」って、日本語と英語だと順番が逆になるんだよねー。

でも、これ二つの単語の順番が単に「逆」とだけとらえてしまうと、ちょっと違う気がします。

日本語では「パイの」って聞いた時点で少年パイに関する何かであることが漠然と分かります。しかも「の」によって続きがあることが示唆されています。頭ではパイ君の生い立ち?冒険?初恋?家族?などとパイ君にまつわる色々を思いめぐらしているところに、「物語」と詳細が示唆される。 大→小 の発想の流れです。
英語では「life」と言いきってしまうので、まず「なるほど、人生・生き様・生活・物語なんだな」とひとまず完結。そのあとおもむろに「of」と続くので、あ、補足説明があるのね。時間があるとき聞いてもいいよ、と。それで頭ではアメリカ人の?江戸時代の?インドの?何の?誰の?とlifeの属性を思いめぐらせたところに(思いめぐらさない場合も大いに可)、「of Pi」と限定されるのです。小→大 の流れです。

単にAとBが入れ替わって”逆”になるのではなく、発想の順番、流れが違う、と言えるのではないでしょうか。

住所の表記を思い浮かべて下さい。
東京都中央区銀座6-9-5
(東京都の>中央区の>銀座の>6丁目の>9番地の>5)
英語では、
666 5th Ave, New York, NY
(number 666 <of 5th Ave <of New York City <of New York State)

日本語が大きい概念→小さい具体的なものへとどんどん発想が流れるに対して、英語はまず一番小さい具体的なもの→大きな概念へとどんどん発想が流れていることが明らかです。
日本語では枠組みが先に来て、そこに属するもの、またそこに属するもの、と具体化していくのに対して、英語では、まずこれ以上細かくできない要素からスタートして、それが属する枠組み、またその枠組みが属するさらに大きな枠組み、と追加していく形ですね。

名前もそうです。
「こばやし の はるこ」 か
「Haruko of Kobayashi」 か、なので、発想の第一段階で、日本語は「小林」という名字の枠組みを、英語では「Haruko」という一番最小要素を、それぞれ思い浮かべることになります。だから一語だけで名前を言うときに、最初に発想するほうを単純に選ぶと、日本語は名字の「こばやし」をとるけど、英語では下の名前の「Haruko」になる、ということなんじゃないでしょうかね、きっと。
アメリカ人はすぐに下の名前で呼び合って、フレンドリー♪♪なんて言いますが、単に最初に発想する方を選んだ結果なだけなんじゃないでしょうか。

ここから考えられるのが
日本語はまず外側の枠組みを決めてからその中でより具体的なものへと
どんどん枠を絞っていくのでは。大きい円の中に小さい円を描きたす感じ。 
一方、英語は、まず最小のものを具体的に考えて、発想をどんどん広げていく感じ。小さい円の外に大きい円をどんどん描きたしていく感じ。

よく言われる、
日本人は、概念を掴むのが得意。具体的な行動を取るのが遅い、集団主義、個人が無い、細かい、繊細、言わないでもわかる、はっきり言葉で説明するのが苦手。
アメリカ人は、 全体像を掴むのが苦手、具体的なアクションを取るのが得意、個人主義、集団行動が苦手、大ざっぱ、大胆、言葉で言ったことだけがすべて、言語で論理的説明が得意。
などなどといった、ステレオタイプなイメージに、驚くほど重なりませんか?

ここで、だから日本人は、とか、だからアメリカ人は、というのは とても危険ですが、話している言語の「くせ」に自分の発想が知らず知らずとらわれている、ということはあるのではないでしょうか。

この話をアメリカ人とした時に、だから(と決めつけるのはいけないかもしれませんが)、ブレーンストーミングのやり方がアメリカと日本では違うのだ、と言われました。
ブレーンストーミング、日本の企業や学校でももてはやされ、まずみんなで寄り集まって何でもいいから、思いついたことを出しあってみましょう、という方法です。
日本でも、やってますよ、同じように、と思ったのですが、これが日米ではその実態がかなり違うものになるそうなのです。

アメリカだと、本当に「今、全く関係ないのにそれを出す?関係ないんじゃないの?」的な自分勝手的な意見が飛び交います。 まさにそこが狙い目で、自分の専門以外の視点を他の人に出してもらう。発想は無限に広がり、目指していた解答が出てこなくても、副産物として他の分野の問題解決になったり、思わぬ重大な発見や発明に繋がることもある。

一方、日本式の思考方法には、代表として「石川fishbone method」 というマーケティング手法がありますが、これは魚の口を「今ある問題」 魚の尻尾を「原因」として、矢印を口に向けて延ばした後、骨のように、あらゆる間接原因を洗い出していく、という方法だそうです。(よね?専門の方がいらっしゃったら間違い訂正願います。)
工場生産で不具合があります、問題を徹底解明しましょう、という時は効率的でよいのですが、そうではないbrain stormingでも 日本人はこのクセが出てしまい、なかなか枠組みを突き破るような発想が出てこないそうなのです。 確かに、これ今関係ないから言ってもしょうがない。とか今は言わないでおこう、と思いがちだったり、他の意見に付け足す意見しか出なかったりしがちですよね。

もちろん、日本人でも枠にとらわれない発想をする人、他の人が考えつかないことを発見・発明する人もたくさんいるわけですが、そういう人はどこかで「日本語にとらわれない」発想法をしているんじゃないだろうかー、などとぼんやり想像したりします。

日本語の「の」と英語の「of」の文法上の役割の違いによって、これほどまで発想の流れ・癖が左右されるとは、恐ろしいですが、爽快な気がします。

私はときどき、老化予防?肩こり防止?に、いつも右手でしている歯磨きを左手でしてみたりするんですが、これがなかなか難しいです。言語でも、いつも日本語で考えている我々は、ときどき英語で考えてみる、もしくは、ときどき発想を大→小ではなく、小→大に変えて、概念じゃなく具体的なことをまず考える、と変えてみると、普段と同じことでも違って感じられたり、新しい何かに気づいたりできるのではないでしょうか。

おわり

p.s. 発想の順番、日付もそうだよ!と言いたいところなのですが、
これは、
日本式:          大→小  2013/03/16 (年→月→日)
ヨーロッパ式:小→大    16/03/2013 (日→月→年)
と、理論通りなのですが、
アメリカ式:中→小→大 03/16/2013 (月→日→年)
となり、理論通りにいきません。
ここでは、アメリカ人のひねくれ者!と声を大にして言わざるをえません。 これはMarch 16 of  2013という発想で、普段「年」の概念まで気にしていないから年がつけ足しになっているのでしょう。まったく不便極まりないです。



 

2013年2月15日金曜日

ダンプとシンナーとマンホールと、わたし。

こんにちは

ダンプとシンナーとマンホール。
歌ができそうなタイトルですね。 違うか。
別に3つの言葉に隠された関係があるわけではありません。
ただ単に、私が選んだ全く関係ない言葉、3つが今回のテーマです。

私と"感性”が違う方には面白くもなんともないかもしれません。人によって常識は違いますからね。つまらなかったらごめんなさい。

さて、誰もが意味をご存じだと思います。
ダンプ。
シンナー。
マンホール。

私の人生で特別意識するでも無かったコトバでありますが、これらはカタカナ言葉(外来語)で、英語が元になっており、英語の発音をそのままカタカナに置き換えた言葉です。
ですから英語でも同じ言葉です。よって当然意味も同じ、と思っていたのですが、これらの言葉を英語で(正確には、英語の発音で)耳にしたとき、衝撃が走りました。”そういう意味だったの!?”と目からうろこ、でありました。 あまりにも日本語で知っていたイメージと違っていたので。

では、ご紹介していきたいと思います。

=その1=
ダンプトラック (もしくは日本だと「ダンプカー」)
工事現場で勇ましく働くトラックです。男の子がいたらミニカーや働くくるまの絵本で人気かも。
個人的には 「ダンプ松本」を連想します。若い方には???かもしれませんが、80年代一世風靡した女子プロレスの悪役(ヒール)です。私は別にファンだったわけではありませんが、テレビで見ない日は無いほどの人気者で、ちびで肉弾のような風貌に童顔でした。
 ダンプトラックのイメージ:勇ましい、強い、固太り

英語で dump truck です。
え???dump って、”ゴミをどさっと放り投げる”っていう意味です。
名詞dump は鉄でできた大型のゴミ投棄容器のことです。(キャンプ場とか学校にある) ビニール袋に入れたゴミをどんどん放り投げて捨てる、そんなイメージです。ダンプトラックって、そうか、荷台が傾斜してザザーッと砂利とか大量に地面に流れ落とすトラックですよね。dumpするtruckだから dump truck。 そのままじゃん。 日本語で言うと「ダンプ」って勇ましいイメージだったのですが、「ゴミ」。。。
 ダンプ松本は 「ゴミ捨て・松本」

英語では"dump"と略すと勇ましいイメージとは程遠くなってしまいます。

ちなみに、英語で勇ましい名前として使われるのは「ブルドーザーbulldozer」です。略してDozer。 犬友にDozerって名前のブルドッグ君がいます。

=その2=
シンナー 
イメージ: 不良、スーハースーハー。積み木崩し。 (は!また若い人には分からない例えだ。)
英語: thinner
「thinするもの」の意です。 動詞thinは「薄める」「細くする」「まばらにする」です。英語だと全くもって不良の匂いのしない普通の一般的な言葉です。
シンナーって ただの「薄め液」「稀釈剤」のことだったんですね。知らなかった。特別な薬剤の名前だと思っていました。しかも特殊な職人さんとか油絵をやる絵描きさん以外、一般人は手を出してはいけないものだと信じ込んでいました。 日本語だとthじゃなくなるからthinと結びつかなかった。ちょっとシンナーが身近になりました。
 先日、ヒラリー・クリントンが血栓で緊急入院した際の治療は”blood thinner"投与でした。 血液希釈剤です。 全然スーハーするものではありませんでした。

=その3=
マンホール
連想→マンホールの蓋。 ご当地マンホールの絵柄もあったりして、結構かわいかったりする。 私にとって特に何の感慨ももたない言葉、マンホール。

これが、これが、英語では manhole
つまり「人間」の「穴」の意です!!!アメリカ~ンな発音で言うともっと感じがこもると思います。マーン・ホール☆ そう、「ヒトが(修理や何かで地下の空洞に)出入りするための穴」のことです。
「マンホール」が二つの単語の複合語との発想が無く、「ま・ん・ほ・お・る」と認識していたので衝撃でした。 私はこの事実に気がついて以来、道でマンホールを見かけるたびに、蓋がずり開いてヒトがぬっと出て来る妄想に取りつかれているんです。そしてマンホールの下に繰り広げられている巨大地下帝国で地底人がうじゃうじゃいる図を想像してしまうのです。怖い。
 もう二度と私とマンホールの平穏な日々は戻ってきません。。。

おしまい。

私と同じように「ダンプトラック」も「シンナー」も「マンホール」も、二度と今までと同じように感じられなくなる方が増えてくれると、私としてはうれしいです。

2013年2月7日木曜日

分数好きのアメリカ人

こんにちは
ついこの間お正月を迎え、今年は頑張るぞ!とやる気に満ちていたのもつかの間、あっというまに1月も終わってしまいました。ブログ2回目も書かないまま、、、、。 いかん、いかん。
と言うわけで2月に入りましたが気持ちも新たに、今回のテーマ。

突然ですが質問です。
0.1センチはありますが、「0.1インチ」は存在するでしょうか?

聞くってことは、、、無いの? 引っかけ問題? 

まずはこの写真をご覧になって
ご自分の目でしっかり確かめてください。
 
        

あまり見やすくない定規で申しわけありませんが、
上部がインチ用、下部が(ひっくり返して使う)センチ用になっています。
お分かりになるでしょうか?

インチは0から1の間の区切りが15本で、1インチが16等分されているのにお気づきになりましたか?いったい一目盛はなんて読むんだ??

センチは10等分されており1目盛は1/10センチだから0.1センチ(1ミリ)です。すっきり。

一方インチは16等分されているので1目盛が・・・・・???
はい、1/16インチです。 分数でいいんです。
あえて計算すると1/16=0.0625インチです。 ふう、日本の中学受験問題のようだ。 ですから面倒なので小数点で言うことは全くありません。
定規はすべて10等分の目盛りだと信じて疑わなかったので、初めてインチの定規を見た時は衝撃的ですらありました。 (手芸をする方はこのあたり、ご経験あると思いますが。)

したがって冒頭の質問の正解は、「0.1インチは存在しない。」です。

ただしiPadやTVのスクリーンなど工業製品は7.9インチ、などとインチ表示でも10進法の小数で表示するののが慣例となっているので、正確には、「定規では」ということです。もう少し拡大して言えば、技術的には存在するけど日常生活では全く使わないし言わない、といえるでしょう。
(逆に考えれば、日本人にとって1/16センチは実存はするけど、そんなしちめんどくさい言い方はしない!」という感覚です。)

この例から分かるように、アメリカ人は分数が大好きです。
そして日本人は小数点が好き、と言えるでしょう。
普段でも、1 1/4mile とか 1/2 million people という表現をしています。
私は「3/4インチ」なんて聞くととっさにどれぐらいかわからず、0.75インチ?センチだとどのくらい?、、、なんてますます分からなくなることがよくありました。
長年この分数感覚に体がなじまなかったのですが、ある時こういうことだと気がつきました。

  日本人の発想の流れ:
1センチ → 10等分する → 真ん中が0.5。それより左だったら0を起点に0.1センチ、0.2センチ、0.3センチ、と目盛りを数えていく。 真ん中より右だったら0.5を起点として0.6、0.7、0.8 、と一目盛りづつ数える。
  アメリカ人の発想の流れ:
1インチ → その半分の1/2インチ → そのまた半分の1/4インチ →
1/8 → 1/16、と永遠に半分にしていく。
実はアメリカンだけど、不思議なことに、日本伝統「紙切り」芸の発想だったんです!1枚の紙が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚、8枚が16枚、、、。
半分をさらに半分、という方法は計量道具が無くても測量できるので、開拓時代には便利だったのでしょうか。(機会があれば調べてみたいです。)

アメリカの学校の理科で、ビーカーに入れた液体の目盛りの読み方を教えるのですが、小学校どころか中学、高校でも教えるので、どれだけレベルの低いことやっているんだ、と驚いたのですが、もしかしたら、目盛りが10進法か分数目盛り(←私の造語です)かどうかを、見分けてから解答する、という高度な問題だったのかもしれません。
現に、料理用計量カップも分数表記のものと10進法表記のものが売られています。

ところで、英語で分数発想がどれぐらい浸透しているかの良い例が「quarter」という言葉のオールマイティーさでしょう。

アメリカのお金を思い出して下さい。硬貨は1セント、5セント、10セント、
25セントの4種類です。 5セントはまあわかるけど25セントって中途半端な、、日本で25円硬貨発行なんて発想すると思いますか?
しかし日本的には中途半端な25セントコイン、別名をクォーターといい、とてつもなく大きな存在で便利なヤツなんです。表か裏かの賭けも、メーターパーキングもクォーター無しでは成り立ちません!
このquarterは「四分の一」の意です。ラテン語の1/4から来ています。コインのクォーターは「1ドルの四分の一」という意味です。

では、25+25+25+25+25=?
なんて計算、即時にできますか?
実はこれ、アメリカの小学校2年生の算数の問題です。
答えは・・・125、、、ではありません。  1ドル25セント、です!
最初の4つの25を丸で囲んで1ドル、と置いておいて、それと余った25セント1枚、と数えます。
他にも、「1ドル85セントのノートを買いました。コインだけでの払い方を考えましょう。」なんて問題もよくあります。
答えは、例えば「クォーター7枚とダイム(10セント硬貨)1枚」
すると、次の問題は「別の払い方を考えましょう。」で、「クォーター4枚とダイム8枚とニッケル(5セント)1枚」とか別の答えを考えさせるわけです。
とにかくこうやって25セントが4枚で1ドル、というのを体にしみこませるのですね。

1/4に体が馴染んできましたね。
そうすると「4つで全体」という感覚が楽にわかるようになります。
クォーター4枚で1ドル。
4半世紀4回繰り返すと1世紀 quarter century
4学期制が多いアメリカの学校ですが1学期のことをquarterと言います。4学期(4quarters)で1year。 
時間もそうです。
クオーターは15分。quarter4回で1時間。
「第1四半期決算」などといいますがこれは12ヶ月の1/4、3カ月分の決算のことですね。
マックのクォーターパウンダーは、1/4lb = 456gX1/4=約110gの肉が入っているわけですね。

「4つで全体」の感覚はパイかピザを思い浮かべれば簡単でしょう。
半分に切ってさらに半分にきると4切れ。

さて、日本人の発想ですが、
2,4、6、8,10.と2個づつ数えたりするほどなので、2.5とか25というのは単位として意識しにくいものです。
10周年記念の次に祝うのは20周年、次に30周年、40周年、一大イベントの50周年、となります。
アメリカでは何と言っても一番大きな記念は25周年です。
quarter centuryですから。結婚25周年、創業25周年、卒業25周年。最も盛大に祝います。(その次は50周年ですが、そこまで続かない場合も多いので) 30周年は25周年よりもかなり影が薄いですね。

分数感覚をお話してきましたが、分数で言うときは分数である必然性(気持ちの上での)があるはずです。だから、分数ののままの気持ちになると体にすんなり入っていきます。 
「1/2mile 」って聞いたら、「ああ、1マイルの半分なんだな。」と思えばいいのです。わざわざ「0.5マイル」と小数点に直すと、この感覚が入ってきませんね。 分数表記は小数に直さないのがコツであります。

なかなか体に馴染まなかった分数感覚だったのですが、半分の半分感覚でちょっと慣れてきたら、最近は「quarter」がちょっとした私のお気に入りになりました。
何かを達成したいとき、スタートがゼロでゴールが10とすると、すごくゴールが遠い気がしませんか? 1,2、そして3ステップあたりですでに疲れてうわぁ、まだ半分も行ってないよ、と。
だからクォーター制で考えることにしたのです。スタートがゼロでゴールが4。そうすると、あら不思議、1,2ステップで「あ、もう半分達成!よし、後半頑張ろう!」続いてステップ3。4ステップ目はなんだ、もうゴール! 終了。
 こうやって4クオーターを何回か繰り返すとすごく遠くのゴールも達成できそうな気になれるのです。
これ、気がついたら、テニスやフットボール(4回のトライ)と同じカウントの仕方ですね。

4って中途半端な数だと思っていましたが、なかなか便利じゃありませんか。 どうでしょうか?

ところで、最後に、とても気になっていることがあるのですが、
日本語の「四半期」「第1四半期」という言い方。半=半分、半分に分ける、という言う意味なのでおかしくありませんか? 「四分期」と「分」という漢字を当てた方が絶対にわかりやすいと思うのですが。 quarterの輸入後に和訳したのだと思うのですが、誰が考えた言葉なんでしょうね。

では、2月も第1四「分」期が過ぎましたが、元気で第2quarterも頑張っていきましょー!!! 極寒のこの時期、みなさん、風邪などお召しになりませんように、お元気で。



2013年1月3日木曜日

Happy New Year と あけましておめでとうございます

日本はまだ正月三が日ですね。初詣、おせち、福袋、駅伝、とお正月ムードにどっぷりとつかっているいることと思います。

ここアメリカは今日は1月2日。1日はこちらもNew Year’s Dayで祝日ですが、もう今日から平日です。夫も会社に出勤しました。
なんとも、ところ変われば、ですね。

ところで、「あけましておめでとうございます」は英語で何と言うでしょうか? 
"Happy new year!" ですよね。

ところがこれが微妙に、いえ、かなり似て非なるコトバなんです。

日本語の「あけましておめでとうございます」は、除夜の鐘を聞いて時計が12時をまわり年が明けた瞬間に解禁ですよね。 31日に言っている間抜けな人はいないでしょう。

でも英語のhappy new year! は、大みそかに言っていいんです。
というか、クリスマス終わったらもう挨拶はこれのみ。早い人は、クリスマス前から”Merry X’mas and a happy new year!" と挨拶します。

つまり、日本語だと、 「(年が)明けまして、おめでたいですなぁ」と年が明けた後に、その感動を皆でしみじみと共有する感じですよね。
英語は、(Have a) happy new year!ハッピーな新しい年を(お迎えください!)という意味です。 そう、日本語の「良いお年を~~~」がより正確な訳だと思われます。
そしてこの表現を年が明けた元旦以降もそのまま使います。今度は同じ言葉でも、「今年もどうぞ良い一年をお過ごしください。」の感覚です。 お気遣いはうれしいですが、ぜんぜん、年が明けためでたさを共感していない気がします。

しかも
「良いお年をお迎えください」と
「あけましておめでとうございます」と
「今年も良い一年をお過ごしください」と、さらに
「今年もよろしく」までまで
すべてを一つの挨拶で済ませよう、って魂胆です。なんともアバウトな、というか、「けじめ」が無い、というか、、、。 これが私にはどうにも気持ちが悪いんです。仕方が無いので心の中で気持ちトーンを変えて言ったりしてみます。

Merry Christmas!も同様で25日クリスマスになる前、感覚的には15日すぎぐらいからかなぁ、使いだし、そして25日当日も同じ挨拶が有効です。でも、これは日本語の言い方が存在しないので、私的にはすんなりと受け入れられます。

しかし新年の挨拶はなぁ。なぜXの前とその瞬間と後を一緒の言葉で済ませられるんか!まったくけじめと言うものが無いではないですか。

そう、けじめというのは英語には無い、とても日本的な感覚だと思います。
英語は、その瞬間Xを意識しながら「ちょっと前」の時期を重視してXを最高潮で迎えられるよう盛り上げる、盛り上げる。継続してon goingな感覚ですね。そして意外とXの後は流れ解散的なしまりの無さがあります。 
 三本締め、無し。
New year’s eveのパーティーはタイムズスクエアーのカウントダウンをTVで見ればわかるように、相当派手です。しんみり、とか1年の反省とか、全く感じられません。
一方、日本は紅白やパーティーで盛り上がっていても、年明ける前の最後の15分は除夜の鐘を静かに聞き煩悩を洗い流しておごそかに新年の瞬間を待ちますよね。

昔、旅行で訪れたメンフィスのレストランやパブでの年越しNew Year’s Party はすごい盛り上がりでした。そうそう、年が明けた瞬間誰かれ構わず隣の人とキスしてた(人もたくさんいました。 私はちょと、、。) これが明け方の閉店時間まで続くとは、アメリカ人体力あるな、と感心しきり。この調子だと元旦当日はどんなに盛大な新年幕開けのイベントがあることかと期待していたのですが、元旦にホテルから外に出てみると、、、 道路には昨晩の紙吹雪や爆竹のゴミが散乱し、あんなに盛り上がっていたお店は固くシャッターを閉ざし、さながらゴーストタウンの様でした。
神聖な元旦をこんな汚れた状態で迎えるなんて、罰あたりな、今年一年この街ずっとゴミまみれだよ!と唖然としたのを覚えています。 

そして気づいたのです。
アメリカ人にとって、元旦とは、クリスマスから続いていた飲み食いらんちきパーティーのフィナーレNew Year Partyを明け方終了し、明日から始まる一年の活動に備えて、丸一日かけて二日酔いさましにあてる単に”おまけ”の休日にしかすぎないんだ、と。

さて、
これからも、こんな調子で、日本語とアメリカ英語に挟まれて、時に、こ、これは、ち、違う、と悶えながら、色々考察していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたしいます。
そして Happy New Year!

晴子